新宿牛込で、投資業・馬主業・石材業・栽培業を
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ホーム代表的施工例長谷川平蔵  供養之石碑
代表的施工例
長谷川平蔵  供養之石碑
2004年01月03日

長谷川平蔵
1745―1795
江戸後期の旗本。火付盗賊改役火盗改長谷川宣雄の子。
1773年父の死にあい小普請組入りするが、当時の平蔵は「本所の銕」とよばれるほどの放蕩ぶりであった。しかし、翌年江戸城西の丸書院番士となって以降は順調に昇進し、86年に先手弓頭、その翌年には火盗改の加役を命ぜられた。また平蔵は、老中松平定信の命により、江戸市中の無宿人を収容して授産事業を行うための人足寄場建設を建議している。90年には人足寄場取扱を命ぜられるが、2年後に罷免、95年の死まで火盗改役に専念した。晩年は、賞罰の公正さにより世人から「今大岡」(名奉行大岡越前守忠相の再来)と称されたという。近年、火盗改役としての彼の活躍は、池波正太郎の『鬼平犯科帳』などで有名だが、父宣雄の業績と混同されているものが少なくない。法名海雲院殿光遠日耀居士。四谷の戒行寺に葬られたが、墓石は現在伝わらない。 Yahoo!百科事典

 

 

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